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浦和地方裁判所 昭和51年(ワ)340号 判決 1981年2月18日

原告 加藤芳男

原告 加藤はる

右訴訟代理人弁護士 鷲野忠雄

白川博清

昭和五一年(ワ)第三四〇号事件被告 岩槻市

右代表者市長 関根龍之焏

右訴訟代理人弁護士 岩谷彰

右指定代理人 斉藤伝吉

<ほか二名>

昭和五二年(ワ)第一〇一号事件被告 埼玉県

右代表者知事 畑和

右訴訟代理人弁護士 相良有朋

相良有一郎

主文

一  被告らは各自、原告加藤芳男に対して金八三七万九七四五円、同加藤はるに対して金八一六万九七四五円及び右各金銭に対する昭和五一年五月二八日から完済までの年五分の金銭の支払をせよ。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、被告らの負担とする。

四  主文第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

1  被告らは各自、原告らに対して各金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五一年五月二八日から完済までの年五分の金銭の支払をせよ。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

(事故の発生)

1 原告ら夫婦の長男加藤芳春(昭和四三年九月一〇日生)は、昭和五〇年五月一〇日午後六時ころ、埼玉県岩槻市大字加倉三二―二先綾瀬川第二用水路取水口(以下「本件取水口」という。)付近においてコンクリート斜面から綾瀬川に転落して溺死した。

(現場付近の位置関係等)

2 原告らの居住する岩槻加倉団地、綾瀬川、大橋井堰及び第二用水路の位置関係は、別紙第一図面のとおりである。

岩槻市は、近年新興住宅都市として発展の一途をたどり、本件事故現場付近においては、綾瀬川左岸に至るまで市街化区域に定められており、原告らの居住する地域は、昭和四〇年ころから住宅が建ち並びはじめた住宅地域である。

(大橋井堰及び第二用水路とその危険性)

3(一) 被告市は、埼玉県知事の許可に基づいて、公の営造物である大橋井堰及び第二用水路を設置し、その維持管理を行なっている。

(二) 第二用水路は、主として農業用水路として岩槻市柏崎方面の水田に灌漑用水を送っているが、灌漑方法は、毎年四月下旬ないし五月初旬から九月中旬ころまでの間、本件取水口の下流にある大橋井堰を閉鎖してその上流に流水を貯留し、本件取水口から第二用水路に水を流し込む方式をとっている。そして、右期間以外は大橋井堰が開放されているので、本件取水口付近における綾瀬川の水深は三〇から四〇センチメートル位であるが、右井堰が閉鎖されると、二四時間位で水深が三メートル以上に達し、以後その状態が継続する。

(三) 右のように、本件事故現場付近における綾瀬川は、毎年五月上旬から九月上旬ころまでは、水深が三メートルをこえるため甚だ危険であり、また、原告ら居住地と綾瀬川左岸堤防の間には荒地があつて、芦等が繁茂しているため、子供達が綾瀬川に近づくことはないが、毎年九月中旬ころ大橋井堰を開放した後、とくに晩秋から翌年五月上旬までは、芦等が枯れて踏み固められ、水深も三〇から四〇センチメートルとなって危険もなくなるため、原告ら居住地付近の子供達にとって綾瀬川の川岸やその周辺は格好の遊び場となり、大人にとっても堤防は散策や釣の場所となっている。

そのうえ、昭和五〇年春ころには、荒地の一部が広場に宅地造成されて子供達の遊び場となったため、右広場を通って容易に綾瀬川の川岸や本件取水口付近へ行くことができるようになった。

(四) また、第二用水路は、大橋井堰開放時には付近住宅地から綾瀬川に至る下水路の機能も有していたため、常に少量の汚水が本件取水口のコンクリート斜面を伝わって綾瀬川に流れ込み、右斜面は水ごけですべり易く危険な状態となっていた。

(事故当日における大橋井堰の操作)

4 被告市は、本件事故当日の午後三時ごろ、大橋井堰を閉鎖して綾瀬川の流水の貯留を開始した。そのため、同日午後五時ないし六時ころには、本件取水口における水深が約一六〇センチメートルに達していた。

(責任原因)

5(一) 被告市には国家賠償法二条一項による損害賠償義務がある。

前記のように、本件事故現場付近においては、綾瀬川の左岸に至るまで市街化区域に定められ、近隣地域の住民も増えてきたため、急速な水位上昇を伴う堰上げ取水方式では転落水死事故発生の危険性があったから、被告市は、灌漑方法を水位上昇を伴わないポンプ取水方式に変更すべきであったのにこれをしないで、大橋井堰及び第二用水路をそのまま設置していた。

また、前記のように、大橋井堰の閉鎖によって綾瀬川の水位が急激に上昇し、危険な状態となるから、被告市は、付近住民に対して、事前に大橋井堰の閉鎖日時を予告し、本件取水口への子供達の立入りや転落を防止するための防護柵、金網、危険告知のための立札を設置し、あるいは、大橋井堰閉鎖日には監視員を配置し、本件取水口のコンクリート斜面が滑らないようにする等、事故の発生を防止するための万全の措置をとる義務があったのに、これらの措置を全くとらずに放置していた。

従って、被告市の大橋井堰及び第二用水路の管理には瑕疵があり、本件事故は、被告市の右のような設置、管理の瑕疵によって発生した。

(二) 被告市には同法一条による賠償義務がある。(予備的主張)

仮に、前項の義務違反が営造物の管理の瑕疵に含まれないとしても、大橋井堰の操作によって人命に対する危険の発生が十分に予想されたから、被告市は、物的安全設備はもとより、付近住民に対して事前に大橋井堰の閉鎖日時を周知徹底させて、子供達が綾瀬川に近づかないようにするとともに、取水開始日には監視員を配置する等の人的安全対策を行なって、事故の発生を防止すべき義務があった。

ところが、被告市は右のような安全対策を怠り、そのため本件事故が発生した。

(三) 被告県には同法三条一項による賠償義務がある。

(1) 埼玉県知事は、本件事故現場付近における綾瀬川(一級河川)について、指定区間として建設大臣から管理権限の一部を委任され、その範囲内でこれを管理している河川管理者である。そして、大橋井堰及び第二用水路は、前記のとおり被告市が設置管理しているが、これらの施設は、単独ではなく、綾瀬川と一体となって存在し、かつ、その機能を有するから、同知事は、大橋井堰及び第二用水路を含めた一体としての綾瀬川について管理していた。

被告県は、右管理に要する費用を負担している。

(2) 埼玉県知事の河川管理へは瑕疵があった。すなわち、

本件事故現場付近における綾瀬川が前記のような地勢及び環境にあり、取水期には大橋井堰の閉鎖によって急激に水位が上昇し、子供が転落すれば水死する危険のあることが明らかであり、しかも、本件事故現場付近は子供達の格好の遊び場となっていたから、河川管理者である埼玉県知事は、本件事故現場付近の綾瀬川左岸堤防や第二用水路への子供達の立入りや転落を防止するための防護柵、金網、危険告知のための立札の設置、監視員の配置等をして、事故の発生を防止するための万全の措置をとる義務があった。

また、埼玉県知事は、被告市に対して大橋井堰及び第二用水路の設置許可を与え、その修繕費用も負担しているから、河川管理者として被告市に対する河川法上の監督処分権限を有し、しかも、大橋井堰の操作によって人命に対する危険が存することを熟知していたから、被告市に命じて右のような危険防止の措置をとらせるべき義務があった。

ところが、埼玉県知事は、みずから右のような危険防止措置をとらず、また、被告市に命じて右のような措置をとらせることもなく放置していたから、その河川管理には瑕疵があり、そのため本件事故が発生した。

(四) 以上のように、本件事故は、被告市の大橋井堰及び第二用水路の設置、管理の瑕疵、安全対策懈怠並びに埼玉県知事の綾瀬川管理の瑕疵により発生したから、被告市は、国家賠償法二条一項あるいは同法一条一項により、被告県は、同法三条一項により、それぞれ本件事故によって生じた損害を賠償する責任がある。

(損害)

6(一) 逸失利益

芳春は、本件事故当時、六歳八か月の健康な男子であり、本件事故に遭わなければ、少なくとも一八歳から六三歳までの四五年間は稼働可能であり、右期間を通じ少なくとも昭和四九年賃金センサスの男子労働者の平均給与を獲得することができた。

右によって計算すると、芳春の得べかりし収入は三六一七万一一一一円となり、右期間中の生活費は収入の五割とみると、逸失利益は一八〇八万五五五五円となる。

そして、原告らは、芳春の請求権の二分の一ずつを相続した。

(二) 葬儀費用

原告芳男は、芳春の葬儀費用として三〇万円を支出した。

(三) 慰藉料

芳春は、原告らのただ一人の男児であり、原告らは、同人の死亡により自分達の生命にも代え難い悲嘆に陥ったのであって、原告らの精神的苦痛は測り知れないほど大きい。その精神的苦痛に対する慰藉料は、各人について三〇〇万円を下らない。

(四) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟を弁護士鷲野忠雄及び同白川博清に委任して弁護士報酬として訴額の一割にあたる金額を等分して支払うことを約したが、そのうち二〇〇万円を請求する。

7 よって、被告ら各自に対し、原告芳男は一三三四万二七七七円、同はるは一三〇四万二七七七円の損害賠償請求権を有するところ、原告らは、内金としてそれぞれ一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五一年五月二八日から完済までの年五分の遅延損害金の支払を求める。

二  被告らの答弁と主張

1  被告市の認否

(一) 請求原因1の事実のうち、芳春がコンクリート斜面から転落した点は争うが、その余は認める。

(二) 同2の事実は認める。

(三) 同3の事実について

(一)は認める。

(二)のうち、開放時における綾瀬川の水深が約三〇から四〇センチメートル位であることは否認するが、その余は認める。

(三)のうち、大橋井堰開放期間中の水深等の状況及び原告ら主張の広場が子供達の遊び場になり、これを通って容易に川岸や本件取水口付近に行けるようになったことは否認するが、その余は認める。

(四)のうち、常に少量の汚水が本件取水口のコンクリート斜面を伝わって綾瀬川に流れ込んでいることは認めるが、その余は争う。

(四) 同4の事実のうち被告市が本件事故当日の午後三時ころ大橋井堰を閉鎖して綾瀬川の流水の貯留を開始したことは認めるがその余は否認する。

(五) 同5の事実のうち(一)、(二)は争う。

(六) 同6の事実は知らない。

2  被告市の主張

(一) 大橋井堰及び第二用水路の設置、管理の瑕疵について

公の営造物の設置、管理に瑕疵がある場合とは、当該営造物が本来備えるべき安全性を欠いている状態をいうが、営造物についてどの程度の安全性を保持すべきかは、周囲の環境、通常の利用方法等の関係を考慮したうえ、具体的な危険状態に応じ、財政上の能否を勘案して総合的に決定すべきものである。本件についてみると、

(1) 大橋井堰及び第二用水路には機能上何ら支障がなかった。

(2) 大橋井堰及び第二用水路は、岩槻市在住の市民の農業用水等の利用に供されるものであって、その存在、具体的環境、とくに大橋井堰の閉鎖が毎年五月上旬であることは、すべての住民に周知となっていたから、住民は、みずからの責任において危険を防止すべきものとして、従来からこれらの施設を利用して来た。

(3) 大橋井堰及び第二用水路は、岩槻市の中心部から約一・五キロメートルの地点にあって、田畑と荒蕪地の中に位置し、本件事故当時、周囲には人家もまばらであった。本件事故の発生した昭和五〇年五月一〇日ころは、井堰の周囲には雑草、芦等が繁茂し、散歩に訪れる人もさほどなく、まして、子供が遊びに来るような場所ではなかったので、本件のような事故発生は全く考えられなかった。従って、被告市としては、大橋井堰及び第二用水路等の施設を自由使用するものについては、自由使用に伴う危険はみずから防止する事をある程度期待しうるとともに、芳春のように、溺死に対する認識能力もなく、河川における危険を回避する能力もない児童については、当然保護者の監護下において遊ばせるものと信頼するのが当然である。

(4) 本件取水口のコンクリート斜面は、勾配一二度のゆるやかな斜面であり、その距離は五・八メートルもあるから、通常六歳の幼児が本件取水口で転倒し転落したとしても、構造上転落の速度自体では河床に転落することはありえない。

(5) しかも、被告市は、大橋井堰及び第二用水路を含め、市内に存在する水路、池等について、広報等を通じて幼児が近よらないよう常に注意を与え、また、夏休み等には、学校を通じて、子供の水死事故等について父兄に十分注意するよう呼びかけていた。

右のように、大橋井堰及び第二用水路は、その位置、利用状況から考えて、本件のような事故が常時発生する、もしくは発生する可能性がある施設とは言い難く、また、本件事故現場付近は、子供達が遊ぶようなところではなく、しかも、従来から市民や原告らから危険の指摘や安全設備の要求はなかったから、被告市が、幼児が保護者の監護を離れて転落するという不慮の事故を予見して、その回避のために原告ら主張のような各措置を講ずる必要はない。従って、原告ら主張の各措置を講じていなかったことをもって、大橋井堰及び第二用水路が通常備えるべき安全性を欠き、ひいてはそれらに対する被告市の設置、管理に瑕疵があったとはいえない。

(二) 因果関係の不存在

芳春の運動靴は、本件取水口正面向かって左側ないしコンクリート敷の縁あたりに置かれており、また、着用していたズボンの両裾は折り上げられていたが、これらの点からみて、芳春は、靴をぬいで綾瀬川に入り、水遊び中に川底の泥に足を取られて溺死したものと推認される。従って、本件事故と第二用水路の管理瑕疵との間に相当因果関係はない。

また、芳春が転落溺死したものとしても、昭和五〇年五月一〇日午後三時の大橋井堰閉鎖直前における本件取水口付近の水深が七三センチメートルであるのに対し、同人が六歳の子供で、その身長が一メートル位であること、そして、河底には大量の土やヘドロが堆積していることや流水の勢い等を考慮すると、大橋井堰開放時であっても、十分に溺死が考えられる以上、本件事故と大橋井堰の閉鎖との間には相当因果関係がない。

(三) 過失相殺の主張

仮に、被告市に何らかの責任があるとしても、原告らには監護者としての義務の懈怠があった。すなわち、

(1) 原告らは、昭和三九年四月二日ごろ肩書地に移転してきており、大橋井堰の開閉については十分に知っていた。

(2) 原告らは、共稼ぎであって、芳春の監護を十分にしていなかった。

(3) もし子供達が川岸や本件取水口に行っていたとすれば、原告らは、芳春に対して、そのような所に遊びに行かせないようにすべきであるのに、そのために特別の措置を取らなかった。

従って、原告らの損害額の算定については、大幅な過失相殺がされるべきである。

3  被告県の認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同3の(一)の事実認める。

(三) 同4の事実のうち、本件事故当日午後三時ころ大橋井堰が閉鎖されたことは知らない。

(四) 同5(三)の事実について

(1)のうち、大橋井堰及び第二用水路が綾瀬川と一体となって存在し、かつ機能を有し、埼玉県知事がその一体としての綾瀬川について管理していたことは否認するが、その余は認める。

(2)は争う。

(五) 同6の事実は知らない。

4  被告県の主張

(一) 原告らは、本件事故が芳春の本件取水口からの転落により発生したと主張している。従って、本件取水口への立入り禁止のための安全対策を講ずるべき義務の有無は、本件取水口の管理者及び管理費用の負担者について問題にすべきところ、その管理者及び負担者は被告市であって、埼玉県知事及び被告県のいずれでもないから、原告らの被告県に対する請求はそもそも問題とはなりえない。原告らは、河川の管理を国から委任されている埼玉県知事が大橋井堰及び第二用水路をも綾瀬川と一体として管理していると漫然と主張するが、建設大臣がこの設置に関する河川の占用許可の権限をもっており、しかも、大橋井堰及び本件取水口は、河川とは別個の施設であるから、その管理者及び費用負担者が埼玉県知事になったり、被告県になったりすることはありえない。

(二) 原告らは、埼玉県知事の河川管理上の瑕疵があるとして、大橋井堰付近一帯の綾瀬川が被告市の本件取水施設操作(とくに貯水のための井堰閉鎖)により危険な川へと急変することを熟知しながら、現場付近の場所的環境、子供らの接近可能性など具体的事情に即応した安全対策をとらなかったことを挙げ、河川管理の費用負担者である被告県に賠償責任があると主張している。

ところで、安全対策を講ずるべきかどうかは、河川自体の物理的危険性、すなわち転落したら死亡するかもしれないという危険性から判断すべきものではなく、そのような危険性のある河川へ転落する危険性があるかどうかをもって判断すべき事柄である。従って、本件では、この転落の危険性があるかどうか、あるとしてもどこにあるのかが最も重大な問題であるところ、原告らは、右の転落の危険性が本件事故現場付近における綾瀬川にあると主張しているのみで、埼玉県知事が管理していると主張する綾瀬川の両岸のどこにあるかを全く主張していないから(もっとも、本件取水口付近における綾瀬川は、両岸とも緩やかな斜面をしており、場所的環境及び河川の利用状況等諸般の事情を総合してみると、転落の危険をいだかせるような客観的状況にはない。)、原告ら主張の論旨は、はなはだあいまいなものといわざるをえない。

原告らの右主張は、要するに、本件取水口には物理的にも場所的環境からも転落の危険性があるから、被告市において本件取水口に立入れないような安全対策を講ずるべきところ、このための方法としては、本件取水口付近一帯の綾瀬川敷地内に立入れないような施設を設けるのがよく、綾瀬川は埼玉県知事の管理下にあるから、右施設の設置義務は、被告市だけではなく、埼玉県知事にもあると主張していると解するほかはない。しかし、右のように解したとしても、本件取水口への立入りを禁止するための施設としては、付近一帯の綾瀬川への全面的立入り禁止の施設を設けるしか方法がないというならいざ知らず、本件取水口の周囲に柵を設ける等(義務ありとすれば本件取水口の管理者にあるが、)により、本件取水口に立入れないようにすることができるから、埼玉県知事が河川敷地内への立入りを禁止する必要は全くなく、また、これを禁止したとすれば、自然に接することへの人々の期待、すなわち自然環境を享受することを奪うことになること(河川への接近・利用は、自己の危険負担において自由にできるものである。)を考慮に入れるならば、埼玉県知事に対して、付近一帯の綾瀬川の敷地内への全面的立入禁止の施設を設ける法的義務を課しえないことは明らかである。

三  被告市の過失相殺の主張に対する原告らの反論

1  被告市は、大橋井堰及び第二用水路について何らの物的、人的安全対策も行なっていないから、右施設の設置、管理の瑕疵は明白かつ重大であって、このような場合過失相殺を行なうことは許されない。

2  原告らの芳春に対する監護の状況等は次のとおりであって、過失相殺されるべき事情は全くない。

(一) 本件事故当時、原告らの家族は、原告ら夫婦、芳春、その姉(本件事故当時小学校五年生)、祖母(同八〇歳)の五人であった。そして、原告芳男は、ハイヤー運転手として月に一六日前後稼働していたが、勤務日以外はつとめて在宅を心がけていた。また、同はるは、パートタイムで勤務していたが、勤務先は岩槻市内にあり、近所に住むお手伝の稲毛が家事の手伝のため、原告ら方へ毎日来ていた。

本件事故当日も、祖母及び姉が在宅していたから、芳春に対する監護能力に欠けるところはなかった。

(二) また、原告らは、取水期近くには、「そろそろ水が入るから気をつけなさい」、「水が入ったら危いから綾瀬川へいくな」等の注意を芳春に与えていた。

(三) 芳春は、おとなしい性格であり、原告らも、その躾けにはとくに心掛けていた。

第三証拠《省略》

理由

一  芳春の死亡及び現場の位置関係

原告ら夫婦の長男加藤芳春(昭和四三年九月一〇日生、当時六歳八か月)が昭和五〇年五月一〇日午後六時ころ岩槻市大字加倉三二―二先の本件取水口付近における綾瀬川で溺死したことは、当事者間に争いがなく、現場付近の位置関係が別紙第一図面のとおりであることは、被告市において認め、同県において明らかに争わないところである。

二  事故の態様について

《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

1  芳春(小学校一年)は、事故当日(土曜)の午後四時ころ、近所の子供とともに、自宅から本件取水口付近における綾瀬川の辺まで遊びに行った。

2  母の原告はるは、同日パート勤務に行っていたが、午後七時ころ帰宅したとき、芳春がまだ帰っていなかったので、近所を捜しているうち、本件取水口付近で遊んでいたということを耳にし、早速同付近を捜したが、芳春を発見することができなかった。

3  そのため、警察官、消防団員、町内会の人々等が協力して綾瀬川付近を捜索していたところ、翌一一日午前九時三〇分ころ、綾瀬川から芳春が溺死体となって発見された。そのとき芳春が着用していたズボンは、すそが一回まくり上げられていた。

4  ところで、本件取水口から綾瀬川の水面に向ってコンクリート斜面が存するが、本件事故発生当時、その斜面にはかかとですべったような三〇センチメートル位の痕跡があったことが認められ、また、死体が発見される直前ころ、本件取水口に向って左側のコンクリート斜面の縁あたりに芳春の靴が置かれていた事実が判明している。

他方、被告市において、毎年四月下旬ないし五月初旬から九月中旬ころまでの間、本件取水口の下流にある大橋井堰を閉鎖してその上流に流水を貯留し、本件取水口から第二用水路に水を流し込む方式で市内の水田に灌漑用水を送っていることは、被告市において認め、同県において明らかに争わないところであり、《証拠省略》によると、大橋井堰開放中の本件取水口付近における綾瀬川の水深は、通常三〇から五〇センチメートル位であるが、昭和五〇年五月五日に大橋井堰の三基の水門中二基が閉鎖され、たまたま、同月一〇日午後三時ころ、残る一基の水門が閉鎖され、流水の貯留が開始されたため、同日午後六時ころには、右水深は、大橋井堰閉鎖前と比較して少なくとも一メートル程度上昇していたことが認められる。

上記の各事実を総合すると、芳春は、事故当時、本件取水口付近で遊んでいたところ、そのコンクリート斜面から何かのひょうしで転倒して、急激に水量の増していた綾瀬川(なお、大橋井堰が閉鎖されると、二四時間位で水深が三メートル以下に達することは、被告市も認めている。)に落下し、溺死するに至ったものと推認するのが相当である。

被告市は、芳春が綾瀬川に入って水遊び中川底の泥に足を取られた旨主張するが、当時同人が六歳の児童であったこと、前記認定のズボンの状況や綾瀬川の水深等からみて、川に入って遊んでいたとは到底信じられないし、他に、右の推認をくつがえすに足りる証拠はない。

三  被告らの責任

1  被告市が、公の営造物である大橋井堰及び第二用水路を設置してその維持管理を行なっていることは、当事者間に争いはなく、また、埼玉県知事が本件事故現場付近における綾瀬川(一級河川)について、指定区間として建設大臣から管理権限の一部を委任され、その範囲内でこれを管理し、かつ、被告県が右管理に要する費用を負担していることは、原告らと同被告との間において争いがない。

2  そこで、右各管理に瑕疵があったか否かについて順次検討する。

(一)  本件事故現場付近の状況

岩槻市が近年新興住宅都市として発展の一途をたどり、本件事故現場付近においては、綾瀬川左岸に至るまで市街化区域に定められ、原告らの居住する地域が昭和四〇年ころから住宅が建ち並びはじめた住宅地域であることは、被告市において認め、同県において明らかに争わないところである。

(二)  大橋井堰及び第二用水路の機能、管理等

大橋井堰及び第二用水路によって灌漑用水を送る方式については、先に示したとおりであるが、《証拠省略》によると、大橋井堰の閉鎖は、通常毎年四月下旬ないし五月上旬に行なわれていたが、その具体的日時は、第二用水路を利用する農民の代表者で構成され、被告市が招集する管理委員会が決定していたこと、本件事故前においては、決定された大橋井堰の閉鎖日時について、その管理委員会はもとより、被告市も、付近住民に対して、広報その他の方法でこれを告知した事実は全くなかったこと、そのため、付近住民は、通勤等で綾瀬川付近を通ったりする際に綾瀬川の水位が上昇しているのを見て、はじめて大橋井堰が閉鎖され流水の貯留がはじまったことを知るにすぎなかったこと、大橋井堰の閉鎖を実際に行なうのは、管理委員会の委員及び用水路を利用する農民(毎年組ごとに交替する。)であって、被告市は、本件事故の発生した昭和五〇年までは全くこれに立ち会わず、井堰操作のためのハンドルの保管も管理委員会で行なっていたこと、大橋井堰の閉鎖作業が終了すると、右作業の関係者は直ちに帰宅してしまうのが通例であって、本件事故当日も、増水中の綾瀬川について監視等を行なう者は全く配置されておらず、付近住民に対して増水時における危険を告知する方法も何らとられていなかったことが認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

(三)  本件取水口付近への接近可能性等

本件事故現場付近における綾瀬川が、毎年五月上旬から九月中旬ころまでは、水深が三メートルをこえるため甚だ危険であること、しかし、原告ら居住地と綾瀬川左岸堤防の間には荒地があって、芦等が繁茂しているため、子供達も綾瀬川に近づくことはなかったが、昭和五〇年春ころ、右荒地の一部が宅地造成されたことは、被告市において認め、同県において明らかに争わないところである。

《証拠省略》によると、原告らの居住する岩槻加倉団地と綾瀬川左岸堤防の間の荒地は、大橋井堰が開放される期間中は芦等が枯れ、とくに晩秋以降は、人の往来があって通路状になっていること、そして、本件取水口付近はもとより、綾瀬川の堤防にも立入りを妨げる柵等が設置されていないため、本件事故現場周辺に居住する者は、右通路状となった荒地を通って、容易に本件取水口付近に近づくことができる状況にあったこと、しかも、昭和五〇年春ころには、前記のように宅地造成された荒地部分が広場に利用されていたため、本件取水口付近には更に容易に近づくことができるようになったこと、また、本件取水口付近にはざりがにや小魚などが繁殖していたため、それを採って遊ぶ子供達も多く、綾瀬川の川岸で釣や散歩を楽しむ者もあったことが認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

(四)転落の危険性

本件取水口のコンクリート斜面を伝わって常に少量の水が綾瀬川に流れ込んでいたことは、被告市において認め、同県において明らかに争わないところである。

右事実と《証拠省略》によると、本件取水口は、別紙第二図面のとおりの構造を有しているが、第二用水路は、農業用水路としてだけでなく、原告らの居住する岩槻加倉団地を含めた付近住宅の家庭雑排水路としての機能をも有していたため、大橋井堰開放期間は、本件取水口からそのコンクリート斜面を伝わって常に少量の汚水が綾瀬川に流れ込んでおり、右汚水の流れていたコンクリート部分には、水ごけ、汚物等がこびりついて滑りやすくなっていたことを十分推測することができる。

そして、右事実から考えると、本件取水口のコンクリート斜面は、子供が立入った場合、水ごけ、汚物等に滑って転倒し、綾瀬川に転落するおそれがあったものということができる。

3  以上のとおり、本件事故現場付近に居住する子供達が本件取水口付近で遊ぶことも多く、そのコンクリート斜面が滑りやすいため、綾瀬川に転落する危険性があり、しかも、毎年四月下旬ないし五月上旬に大橋井堰を閉鎖させることによって、綾瀬川の水位が急激に上昇して、転落した場合の水死事故発生の危険性が著しく増大するのであるから、大橋井堰及び第二用水路の管理者たる被告市としては、広報等を通じて大橋井堰の閉鎖の具体的日時を付近住民に周知徹底させて、子供達が綾瀬川に近づかないよう注意を呼びかけるとともに、河川管理者の許可を得て、本件取水口の周囲にフェンスその他の転落防止施設を設け、その付近に危険告知のための立札等を設置し、あるいは、少なくとも取水開始日においては監視員を配置する等して、子供らの転落事故を防止する措置を講ずるべき義務があった。

ところが、被告市は、右のような措置を全くとらなかったから、大橋井堰及び第二用水路の管理には瑕疵があったというべきである。

4  大橋井堰及び第二用水路の管理責任が被告市にあることは前記のとおりであり、成立に争いのない甲第一一号証によると、第二用水路の取水量は毎秒一立方メートルをこえていることが認められるから、これらの施設の設置許可権が建設大臣に留保されていることは明らかである。

ところで、これらの施設は、埼玉県知事の管理する綾瀬川と離れて存在するものではないから、河川管理者である同知事は、自己の管理する河川区域内に右のような施設が存在し、その使用によって河川自体の危険性が増大するような場合、そのような危険の存在を前提として、河川管理を行なうべき義務を負うものと解される。

そして、すでに判示したとおり、綾瀬川は、大橋井堰の閉鎖によって急激に水位が上昇し、転落水死事故発生の危険が増大するのであって、しかも、《証拠省略》によると、被告市から埼玉県知事に対して大橋井堰及び第二用水路の設置、機能、事業の現況等について届出がされていることが認められるので、同知事としても、右のような危険の増大について十分知っていたということができるから、同知事は、本件のような水死事故を防止するため、みずから、あるいは被告市に勧告して、取水口周辺に転落防止のためのフェンスその他を設置し、あるいは危険告知のための立札を設置する等の措置をとるべき義務があった。

ところが、同知事は、右のような措置を全くとっていないから、その綾瀬川管理には瑕疵があったといわざるをえない。

5  そして、被告らが右のような各措置を講じていたならば、本件事故は発生しなかったということができるので、被告市の大橋井堰及び第二取水路の管理並びに埼玉県知事の綾瀬川の管理の瑕疵と本件事故との間には相当因果関係がある。

6  したがって、被告市は国家賠償法二条一項により、同県は綾瀬川の管理に要する費用の負担者として同法三条一項により、それぞれ本件事故によって生じた損害を賠償する義務がある。

四  損害

1  逸失利益

芳春は、死亡当時満六歳であり、《証拠省略》によると、健康な児童であったことが認められるから、同人は、一八歳から六七歳までの四九年間就労することができたということができる。そして、右就労期間中毎年少なくとも昭和五三年度賃金センサスの産業計、企業規模計の男子労働者の学歴計年間給与額三〇〇万四七〇〇円の収入を得ることが可能であるから、右収入金額から生活費として五割を差引き、ライプニッツ式計算法により年五分の中間利息を控除して、同人の死亡当時の逸失利益現価額を計算すると、一五一九万九二七四円となる。

原告らは、芳春の両親であるから、同人の損害賠償請求権の二分の一ずつ、すなわち七五九万九六三七円ずつを相続したことが明らかである。

2  葬儀費用

弁論の全趣旨によると、原告芳男は、芳春の葬儀費用として三〇万円を支出したことが認められる。

3  慰藉料

原告らは突如として長男芳春を喪い、そのため甚大な精神的苦痛を蒙ったであろうことは想像に難くない。芳春の死亡態様その他諸般の事情を考慮すると、慰藉料は各人についてそれぞれ三〇〇万円と認めるのが相当である。

4  過失相殺

前記認定のように、本件取水口コンクリート斜面が水ごけ等のために滑りやすく転落の危険があったこと、及び本件事故の発生した昭和五〇年五月一〇日午後六時ころには綾瀬川の水深は一メートルをこえ、水量が徐々に増加していたのであって、転落した場合には水死の危険があったことは、芳春にとって、同人が六歳八月の児童であったことを考慮しても、十分に認識しえたものというべきである。ところが、芳春は、それにもかかわらず、本件取水口付近で遊びつづけていたと推認するほかはないから、同人にも過失があったものといわなければならない。

また、《証拠省略》によると、原告らは、昭和三九年ころから岩槻加倉団地に居住し、その具体的日時は知らなかったものの、概ね毎年四月下旬から五月上旬ころには大橋井堰が閉鎖されて綾瀬川の水位が上昇し、水死事故発生の危険性が増大することを知っていたことが認められるから、芳春の年令等を考慮すると、同人が単独、あるいは子供達だけで綾瀬川へ遊びに行くことのないよう厳しく注意を与える等の措置をとるべきであったところ、先に認定したように、芳春は、本件事故当日、近所の子供とともに本件取水口付近へ遊びに行っており、それについて家人の許可を得ていた形跡もないから、たとえ原告らが日頃芳春に対して危険防止について指導していたとしても、それはいまだ十分ではなかったといわざるをえず、原告らについても、芳春の親権者として、同人を監護すべき義務を怠った過失があったとせざるをえない。

したがって、本件損害賠償額を算定するについて、被害者である芳春及び原告らの過失を斟酌し、その三割を減額すべきものとする。

そうすると、原告芳男については七六二万九七四五円、同はるについては七四一万九七四五円が損害額となる。

5  弁護士費用

原告らが本件訴訟のため原告訴訟代理人らに訴訟委任したことは当裁判所に顕著であり、事案の性質、認容額その他諸般の事情を考慮すると、弁護士費用は、原告ら各人についてそれぞれ七五万円と認めるのが相当である。

五  結論

以上によると、原告らの本訴請求は、損害賠償として、被告ら各自に対し、原告芳男が八三七万九七四五円、同はるが八一六万九七四五円及び右各金銭に対する本件事故発生日の後である昭和五一年五月二八日から(損害金の始期は申立の限度に従う。)完済までの年五分の遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、正当として認容し、その余はいずれも失当として棄却すべきものである。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橋本攻 裁判官 一宮なほみ 並木正男)

<以下省略>

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